文・松竹梅
俺たちが上樹の者として夫婦になり数年が経った、ある夜のことだ。
「誕生日おめでとう。これでやっと、お前とも酒が飲めるな」
「有難う、守人」
内々で開かれた誕生日パーティには、今夜の主役――俺の嫁の希望で、親友たちと家族だけが来ていた。
一番手として寄ってきたのは、ストーカー……じゃなかった、自称千年前からの婚約者の、上樹守人。あとはいけすかない従者やら、嫁に惚れてる元クラスメイトやら……とにかく厄介な連中が順番待ちをしている。
内心で苛々しながら時間を計ること数分。
叶うことなら全員追い返してしまいたい気持ちを、酒と一緒に飲みこんだ。
「制限時間オーバーだ。はい、次」
調子に乗って嫁の手を握りしめようとした守人を、片腕でぐいっと押しのける。
でも直後に、俺の指に蜘蛛の糸でもくっついているのかと思うほどの素早さで、押し退けた分だけまた戻ってきやがった。
「失礼な奴だな。まだ誕生日プレゼントを渡していないだろう」
「じゃあさっさと渡せ」
「やれやれ。なぜお前のような度量が狭い男を彼女が選んだのか、理解に苦しむ」
「昔の女がどうとか言わなかったからだろ」
「う、それは……悪かったと思っている。だからこそ、今宵はこうして彼女のイメージにあうものを用意したのだ」
悪びれつつも自信満々で、守人が懐から一枚の写真を取りだす。
そこには洒落た建物が映っていた。全体的に淡い色で構成された洋館は、明るく洗練された雰囲気を醸しながらも、どことなく愛らしさも感じさせる。確かに、俺の嫁のイメージにあっているといえば、あっているかもしれないが……。
「うわぁ、綺麗な写真だね。有難う!」
(やっぱりわかってねぇな、こいつ)
深々とした溜息が漏れる。首を傾げる守人に、こいつは全然わかってないぞ、と目で教えてやった。
気づいた守人が、改めてといった調子で説明した。
「今年はこの洋館をお前に贈る」
「え? ……ええ!? 写真じゃなくて、この洋館を!?」
「冬はスキー、夏は乗馬などで楽しめるぞ。かなりの部屋数があるから、私と連はもちろん、蒼太や素子も呼べる。司殿も誘ってみてはどうだろうか」
「屋敷をプレゼント……」
ちらりと横目で見れば、煙でもあげそうな勢いで思考がショートしている様子だった。
仕方なく、俺が丁重にお断りしてやった。
「なんで貴重な休暇を、ストーカーの顔みて過ごさなきゃなんねぇんだよ」
「お前は来なくていい」
「その台詞、そっくりそのまま返す」
不可視の火花が散り、後ろに並んでいた蒼太があわあわと口を開閉させている。どうしようと横にいる素子に耳打ちしているのが見えた。
一方の素子は「いつものことでしょ」と涼しい顔だ。
やがて睨みあう俺たちを、小さな手が引き離した。
「もう。今夜は祝いの席なんだから、喧嘩しないの」
「喧嘩じゃねぇよ。俺は当然の主張をしただけだ」
「断るにしても、言葉を選ばないと失礼でしょ」
そこで、すかさず守人がしゅんとする。
「断るのか」
「あ、あー……えっと、じゃあ私へのプレゼントじゃなくて、みんなで共有するっていうのはどうかな」
今さら売り払えと言っても守人は譲らないだろう。それを満場一致でわかっているから、揃ってうんうんと頷いた。
(だから言ったじゃねぇか。もっと大々的なパーティにしておけば、守人も大人しくなったつーのに)
丁度いい区切りだったから、俺としてはもっと大々的に祝いたかったんだが、全力で止められてしまった。
まったく、ホテルを貸しきることの何がいけないのか。
いい加減こっちの家の感覚に慣れろと言ったら「そういう至央こそ、いい加減私の感覚に慣れてよ」と涙目で返されてしまった。
自慢できることじゃないか、俺は嫁の涙に弱い。こうなると俺の負けは八割がた決まっているようなものだ。
そうこうしている内に他の連中が準備を進め、……こうして地味なパーティを開く事態に陥っている。
別に、地味なパーティが嫌いなわけじゃない。面倒なのは、身内だけでパーティを開くと、これ幸いとストーカーがへばりついてくることだ。
しかし最たる問題はこいつじゃない。俺が苦々しく思っているのは……
「守人様が行くと至央様と喧嘩をして、彼女を悲しませてしまいますから、俺が代表で行きますよ」
この自称千年前からの従者、連記こと永海連だ。俺が思うに、こいつは誰よりも優しげで、だが誰よりも腹黒い。真向から「親しくなりたい」とぶつかってくる守人と違って、連記はじわじわと、人知れず攻めてくるタイプだ。こういうのが、一番手に負えない。
今もニコニコと笑いつつ、さりげなく俺の嫁の肩に手を置き、ベストポジションをキープしている。
衝動的に手を斬り落としてやろうかと思ったが、嫁の悲しむ顔を想像したら怒りが萎んでいった。
なんともいえない気分で酒を煽る俺と、連記の視線がぶつかる。
くすりと鼻の奥で笑われ、怒りが再燃した。
連記の指先が、羨ましいだろうと言わんばかりに華奢な肩を撫でる。
苛立ちのあまり手に持っているグラスを握り潰しそうになった。
すでのところで思いとどまり、また酒を煽る。
(ったく、他の奴が相手だったら拒否するくせに)
俺の嫁は連記に甘い。これが守人だったら全身を使って拒絶反応を示しただろうが、連記は完全に味方だと思っているらしく、かなり際どいことをされても気がつかない。
(早く気づけよ。連記はお前のこと、女として見てるんだぞ)
注意しなければいけないと思いつつ、言えないでいる。説明したら意識させてしまう気がして、それもそれで癪に障るからだ。
心の壁を作り、本音が覇名を通して漏れないよう細心の注意を払う。
努力のかいあって、アイツはほっとした様子で皆からのプレゼントを受けとっていた。
連記の贈り物が白い花束――花言葉を集めるととんでもない意味になる――で、また俺の苛立ちを煽ったが、見てみぬふりをして守人とのチェスに興じた。
頭の片隅では、同時進行で連記のことを考える。
(わかんねぇな。なんで連記は耐えられるんだ? 俺があいつの立場だったら、絶対に気が狂ってるぞ)
なぜなら連記は……。
(やめやめ。こんなこと考えてると、また訝しがられる)
あまり長時間心に壁を作っているわけにはいかない。俺はあえて心に隙を作りながら、嘘くさい笑顔を振りまく連記を視界の端に捉え続けた。
そうして夜半に差しかかる頃には、宴もたけなわになり、皆がめいめいに帰っていった。
最後に残ったのは、俺の予想通り……連記だ。
「彼女、眠っちゃったみたいだね」
「調子に乗って慣れねぇ酒なんか飲むからだ」
今はソファーに座った俺に体を預け、健やかな寝息を立てている。
唇に残っていた酒の滴を拭ってやると「んん」と微かな吐息を漏らして俺の胸に頬ずりをしてきた。
こみあげてきた愛しさ、衝動を気力で抑える。
それでも微かに『誘香』が漏れてしまったらしく、眼下の鼻がひくひくと動き、次いで目元が幸せそうに笑み崩れた。
(ぐ。なんて反応しやがる。ああ、くそ、抱きしめてぇ)
と思ったが、連記の前でこれ以上こいつの可愛い反応を見せるわけにはいかない。どうしたもんかと額に手をあてる。
すると俺の内心がわかっている素振りで、連記が喉奥で笑った。
「邪魔してすみません」
「そう思うなら早く帰れ」
「ええ、帰りますよ。でもその前に、祝福させてくれませんか。彼女が遠慮するので花束だけにしましたが、それだけでは俺の気がすまない」
「祝福の方法による」
「では、彼女の手に口づける許可をください」
「……」
「それで、今後も真実を飲みこむと約束しましょう」
半ば脅しめいた提案に眉を顰める。
これを言われると、俺がとる手段は提案を飲むか、連記を殺すかの二択になってしまう。
しかし悔しいことに後者は選択不可だ。選んだら俺が嫁に嫌われる。
苦々しい気持ちで頷いてやると、晴れやかな笑みを張りつけた連記が近寄ってきた。
「二十歳のお誕生日、おめでとう」
そう言って膝をついた連記は、恭しい仕草で桜色の指先に口づけた。
初めての酒に酔いつぶれた俺の嫁は、それでも目をさまさない。
……いつだって、連記の愛情は本人が知らぬまに注がれる。
空しくも思える光景に、つい呟いてしまった。
「……お前はこれでいいのか、連記」
「もちろん。俺の幸せは彼女の幸せですから」
連記は何十年経っても、きっとこうして己の魂を捧げ続けるんだろう。
無言で銀色の頭頂部を見つめていると、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
「貴方の口から同情めいた言葉が聞けるとは思いませんでしたよ。こうして触れたら怒られるだろうと覚悟していたのに」
「今夜は祝いの席だから特別だ。それに……同じ覇名を捧げた身だからな」
少し驚いたふうに連記が目を瞠る。
瞬きの動きに伴い長い睫がぱたぱたと揺れた。その睫が影を落とす瞳の中が、実際以上に暗くなったように感じた。
見つめる内に、連記の口元がゆっくりと冷笑を象る。
「同じじゃない。君たちは捧げあっている。俺の覇名は、彼女自身にも知られず、彼女の中で朽ちていくだけだ」
連記が『守人の補佐』の仮面を取るのは、ずいぶんと久しぶりに感じた。
「……そうとわかっていて傍にいるのは、辛いだろ」
「もう慣れたよ」
孤独を感じさせる微笑に、喉がつまったようになる。伴侶との幸せを得てしまった俺には、わかるなんて軽々しい発言はできなかった。
連記はそんな俺をまた喉奥で笑い、立がって早々に踵を返した。
花の部分が重いのか、花瓶にさされたブーケがくたりと傾いでいる。それがさっきの、頭を垂れた連記の姿を彷彿とさせた。
そんな想像をした後だからか、重力に耐えきれなかった花弁の内の一枚が音もなく落ちれば、ぞくりとした悪寒が走った。
当然ながら、落ちた花弁は元には戻らない。
連記の捧げられた覇名のようだと思った。
【あとがき】
小姑連は、死ぬまでニヤニヤしながらこの二人の傍にいるんだろうなぁと思います。
松竹梅